北越急行ほくほく線

 早朝の越後湯沢駅はひっそりとしていた。ひっそりというより火が消えたようで、広くて長いコンコースに人はひとりもいなかった。明かりを落しているものだから余計に寂しさがあった。新幹線が着くとパラパラと人が降りてくるものの、1分もすれば霧散してしまった。駅はコンクリートの大きなかたまりでしかなかった。
 眠っているのだ、まだ。
 コンコースには何機ものワゴンや屋台があり、お土産屋やちょっとした食べ物飲み物を売るのだろうが、どれもまだカバーをかけられていた。広いエキナカの土産物店や飲食店もまだ開いておらず、トイレへの通り道になる通路だけ最小限の明かりがつけられていた。これらが始まり、ここに人が集えばおのずと活気が戻ってくる。

 

 私が乗ろうとする列車までまだ一時間もあった。ずいぶん早く来てしまった。だからこうしてうろうろしているのだけど、コンコースにいてもさすがに暇を持て余し、コンビニでコーヒーを買って改札を入ることにした。ホームに行けば待合室があって椅子がある。
 降りると、ちょうどほくほく線の列車が発車していった。普通列車犀潟行きだった。

 

 2020年11月。今日、私が乗るのはほくほく線
 一本早い列車に間に合うのなら乗ってしまってもよかった。途中下車できるチャンスだって一回生まれる。でも今日はほくほく線が誇るスピードスター、「超快速」に乗ろうと決めて来たから、普通列車を見送った。
 それから10分もすると私が乗る超快速が入ってきた。

 

***

 

 この路線は中越南部の魚沼地域から上越、さらには北陸方面への短絡線として、さらに冬季雪に閉ざされ交通網のなくなる頸城地区の基盤交通として、国鉄時代から計画され、着工もしていた(立案や請願までとなると鉄道省の頃までさかのぼる)。しかしながら国鉄再建法下での工事凍結、その後第三セクターとしての出発を見るも難工事に見舞われ、戦前から計画された路線が開業にこぎつけたのは21世紀目前の1997年だった。
 私は何度かこのほくほく線に乗ったことがあったが、いずれも十日町と六日町の区間だけだった。いつだって上越線に出るための「短絡利用」でしかなかった。
 今日、初めてこの路線にすべて乗ってみようと思う。

 

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 ほくほく線はかつて、北陸路への短絡路線の役割を担っていた。それまでは、上越新幹線で長岡まで出て北陸特急に乗り継ぐか、東海道新幹線米原まで行き福井まわりで入るかだった。行き先にはよるものの、どちらを取っても似たり寄ったりだった。距離が時間を左右することもあれば、列車の乗り継ぎの良し悪しが優劣を決めることもあった。でもその程度の差だった。いずれにしたってぐるっと大回りをする必要があった。
 そこへ越後湯沢乗り継ぎで直江津から北陸路に入るルートができた。新ルートは新幹線の時間に合わせて北陸へ向かう特急を用意した。しかも他の在来線では見られない超高速特急だった。路線も、超高速で走らせることができる高規格の基盤だった。北陸へのアプローチとして主力になるのは必然だった。
 しかし開業時すでに、北陸新幹線ができることはわかっていた。新幹線は当初「長野行き新幹線」などといった。「本当は北陸新幹線なんだけど、今は長野までしか行かないからね」──いずれ北陸新幹線が全線開業すれば、ほくほく線の北陸路へのアプローチの意義などなくなることはわかっていた。そしてその時が来るのも必然だった。北陸新幹線の開業と同時に、ほくほく線を走る超高速特急は姿を消した。

 

 超快速にはスノーラビットという愛称が付けられている。これはかつての超高速特急はくたかの車両に付けられていた愛称だ。その名を受け継いで、今はお菓子の箱のような四角い電車が二両、魚沼・頸城路を駆け抜ける。
 9時14分に越後湯沢を出た超快速は、しかしながらスピードスターらしからぬ速度で魚沼盆地を駆け下りる。下り坂で増そうとする速度を抑えている。魚野川に沿って右に左にカーブしながら、そろそろ雪支度を始める紅葉の山々のあいだを走った。六日町まではJR上越線なのだ。この区間はかつての超高速特急だって同じようにしていた。
 ほくほく線は六日町から魚沼丘陵に向かう。かつて国鉄時代の計画にさかのぼれば、短絡線のルート候補は今のルートの北越北線と、越後湯沢に直接刺さる北越南線とがあったと聞く(南線は清津峡あたりを通り、松之山を抜けていく案)。南線ルートだったら石打駅手前辺りから魚沼丘陵をくぐることになり、すぐさま超高速モードだったかもしれない。
 上越線の途中駅はすべて通過し、六日町駅に停車。駅構内の渡り線を渡って上越線とは別の、ほくほく線のホームに止まった。
 六日町からも乗客があった。まばらながらもそこそこ乗車がある。9時30分、発車。
 いよいよほくほく線、スピードスターの本領発揮だ。緩やかな曲線で上越線の線路から離れ、関越自動車道をまたいだ。力強く加速するが、上り勾配でなかなかスピードは乗らない。緩やかなカーブのまま魚沼丘陵駅を通過すると、まもなくしてトンネルに入った。10キロ以上に及ぶ長いトンネルは路線内でも最長、この赤倉トンネルで一気に魚沼丘陵を貫く。
 特急はくたかの時速160キロには及ばないが、最高速度時速110キロの電車がほぼその速度で巡行するのはまさに超快速。ただトンネルのなかでは実感が湧かない。速いのはわかるのだけど、いったいどのくらいの速度なのか比べるすべもなかった。真っ暗で後ろに流れる壁だけを見ているだけだった。そんな中を数分走っていると窓は真っ白に曇った。車内とトンネル内の気温や湿度の差なのか、高速走行によるものなのかはわからない。おかげでトンネルの中に設けられた赤倉信号場が上手く見つけられなかった。ここかなと思うところも一瞬の通過であいまいになった。超高速運用のため設けられたノーズ可動式ポイントが、ポイント通過音を感じさせなかった。さらに同じくトンネル内に設けられた美佐島駅を通過する。白く霞んだ窓に薄ぼんやりと明かりが浮かび、ここもまたたく間に通過した。
 トンネルの中で減速をしている。少しずつ速度を落としながら長かった暗闇から飛び出した。出たすぐのところにしんざ駅があるはずである。しかしあまりに強烈な結露で薄ぼんやりと見ただけだった。これが駅だろうと思った程度だった。
 列車は大きく左にカーブを描き、国道をまたぎJR飯山線をまたいで十日町の駅に着いた。魚沼丘陵を越えるいずれの道路もつづら折とトンネルでの難儀な峠越えをするなか、トンネル一本、わずか10分で終えてしまった。かかった時間で速さを思い知る。
 十日町でまた乗客が増えた。二人掛けのクロスシートにひとりずつ座っている埋まり具合だ。ドア際に立っている人もいる。地方路線で立っている人がいるってことに驚いた。席がないわけじゃないし、首都圏じゃないのだここは。意外な気がした。
 定刻9時40分、十日町駅を発車。

 

 正直、北陸新幹線ができ、北陸連絡線の用途がなくなったら、この路線はどうするのだろうと思っていた。路線請願のひとつだった松代、大島地区の冬の孤立も、当時からしたら道路も圧倒的に整備が進んだ。収入源だった超高速特急はくたかは新幹線開業と同時に姿を消した。国鉄時には盛り込まれていた貨物輸送の大動脈という命題も、第三セクターとして再スタートしたのちは建設コストを優先し、貨物は想定しない規格とした。結果、普通列車ばかりが走る一地方路線になり、その旅客収入だけが今のほくほく線の収入源である。
 確かに十数年しか使わないなんて鉄道はあり得ない。ましてゴトゴトと低速で走っているローカル線と違い、時速160キロで突っ走れる高規格路線である(現在は信号設備を変更してしまったので160キロは出せないらしい)。北陸新幹線の開業はわかっていたことだろうけど、今後この線がどうなっていくのか、いらぬ気を病む。

 

 超快速はまたも長いトンネルの中を走っている。十日町盆地をはさんで頸城丘陵の中にいる。トンネルとトンネルのあいだで一瞬目に飛び込む光景は紅葉だが、ここは指折りの豪雪地帯、あとひと月もすれば雪景色に変わっていくんだろう。
 いくつかのトンネルとトンネルのあいだのひとつで、まつだい駅に停車した。十日町から10分もかからなかった。ドア際に立っていた人はここで降りた。
 ──そうか、10分なら首都圏の電車でもじゅうぶん立っていく範囲だ。
 地方なのだから何十分も列車に揺られるものだと勝手に決めつけていたみたいだ。超快速スノーラビットは町と町とをおよそ10分の単位で結んでいる。地図と照らし合わせてみると、それが恐ろしく早いことだと気づいた。
 まつだい駅を出るとまたすぐにトンネルに入った。ふたつの巨大丘陵をひたすらトンネルで貫く路線は、とにかくまっすぐだった。ひたすら直線的にルートを引き、列車が減速することも揺れることもない。ここを走っていると、”直線を体感”することができる。
 ゆえにこれだけの高速巡行を可能にしているんだろう。最高速度時速110キロは、巡航速度もほぼそれに等しいと実感させた。
 どうもわずかばかり耳の具合がおかしい。頭がぼぉっとする感覚がある。最初の赤倉トンネルからそれは感じていたので、連なるトンネルでの気圧の変化によるのではと気づいた。気圧で体調の変化がある人にはもしかしたら負担があるかもしれない。新幹線よりも圧倒的に遅いとはいえ、単線で小ぶりの断面のトンネルを高速で、いくつも出たり入ったりするのだ。幸い私はそれ以上具合が悪くなることはなかった。
 虫川大杉に停車、ここで対向列車と交換した。
 少しばかりの乗降があるけれど、越後湯沢、六日町、十日町で乗車した客はほとんど乗り通している。次は直江津だ。このスピードスターに乗ってみな一気に北陸路を目指すのか。

 

 本当に超快速の醍醐味を味わうなら、この一本あと、40分後の超快速のほうが適していた。直江津行きで途中停車駅が十日町のみ、それはかつての特急はくたかと同じである。スノーラビットの名を引き継いだ超快速がどんな走りをするのか、それならあとの列車のほうが向いていた。
 しかしながら私は今日の行程上の理由と、新井行きという行き先(えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)、その直通運転にも興味があってこの列車を選んだ。

 

 くびき駅の少し手前で列車は最後のトンネルを出た。と同時に山あいのほとんど風景のない中を走っていた路線が突如、見通しのいい高架橋の上になった。見下ろす高田平野はどこまでも田んぼが並んでいる。均等に区画された正方形がはるか先まで続いている。
 列車は徐々に速度を落とした。久しぶりに左にカーブを曲がると右手からJR信越本線の線路が近づいてきた。高架橋のまま信越本線をまたぎ、上下線のあいだに入る。徐々に高度を下げて地平に下りると渡り線を渡って信越本線の線路に入った。犀潟駅。これを通過し、次の黒井駅も通過して直江津へ向かう。JRの線路に入った途端、スピードスターは鳴りをひそめ、JRの普通列車として走った。なんだか久しぶりにリズミカルなレールの継ぎ目を刻む音を聞いた。

 

 直江津に着いた。定刻10時14分、ぴったり一時間だった。早い。ものすごく。車だったら一体どれだけかかるだろう。
 そして直江津でほとんどの乗客が降りた。車内に残ったのは越後湯沢から見た顔で、しからば同業だと判断がついた。それからまた入れ替わりで多くの乗客が乗ってくる。この路線を使う地域客の多くは直江津利用のようだ。直江津に用事がある人がいて、これほどの時間で到着できるのなら、この路線の価値が見いだせたような気がしてうれしくなった。
 入れ替わりで乗ってきた人は、この列車をえちごトキめき鉄道の列車として利用する人たちなんだろう。上越妙高から北陸新幹線に乗り継ぐ人もいるかもしれない。いずれにしても直江津の駅でこれだけ乗り降りがある(といっても2両編成の電車だから改札口がごった返すほどじゃないけど)のはちょっとうれしかった。新幹線が通らなかったかつての交通の要衝も、それとは関係なく利用されているんだって映った。

 列車の行き先表示は普通・新井に変わっていた。私はこのまま終着の新井まで乗る。