甲子道路と甲子温泉

 甲子と書いて「かし」と読む。甲子高原、甲子温泉──その名前を私は子供の頃から知っていた。なぜなら私が分断国道の存在を初めて知った場所であり、そのインパクトがあったからだ。
 その地の名を初めて聞いたのはおそらく父からだったと思う。栃木県の那須の北、福島県に入ったところに甲子高原というところがある。温泉もあるがなにしろ交通の不便な場所だ──不動産事業にかかわっていた父はある時期リゾート開発も手掛けていたようで、妙高・赤倉や安曇野・白馬などしょっちゅう出かけていた。あるいはその時期にこの一帯にも手を出そうとしていたのか。もちろん子供の私にそんな考えが及ぶはずもなく、今になって思い返してみれば、というところ。
 私はその聞き慣れない名前を地図で見てみた。福島県白河から西へ、奥羽山脈へと延びる道があって、それは次第にか細くなり、山への途中ではかなく途切れていた。そこに温泉マークがあり、甲子と書かれていた。国道は、289号。

 

 甲子道路は、ずっとつながる可能性を秘めていた。つながる期待のない分断国道とは違っていた。例えば国道291号清水峠や国道401号尾瀬国道353号や405号の群馬県境越えといった──。
 計画も、工事も実施されていた。しかしなかなかつながることがない。三十余年のときを経てようやく開通したのが2008年、工事と災害、計画変更と完成路線の放棄など、とにかく時間と手のかかった道路だった。
 そして今、甲子道路は美しい高原道路となって白河と下郷を結んでいる。決して有名ではない。でも私にとってはそれでいい、と思う。今のような混雑のない美しい道が、ここにあればいいと勝手ながら思う。

 

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 私はゆっくりめの朝食を食べながら、窓の外、空が妙に明るいことに気づいた。昨日からの雨が一掃され、まるで空が紙芝居でもめくったようだった。それがついさっきだったのを示すように、道路はまだしっかり濡れていた。
 どこかへ行こうと思ってた。ここのところ悩まされている五十肩もあって温泉でも行こうかって。なら、ひなびたところがいいや。そしてこの青空である、ついでに気分のいいところがいい。
 甲子道路と甲子温泉が浮かんだ。手荷物にタオルを加え、スバルの後部座席に放り込んだ。

 

 埼玉県の越谷の自宅から新4号国道で宇都宮へ、その先も国道4号でひたすら北上した。私が高速道路嫌い一般道好きというのを差し引いても、新4号国道は使い勝手がいい。特に埼玉県東部にアクセスが良くて、東北自動車道よりも新4号国道に早く出られる人なら、両者の差は1時間にもならないだろう。
 矢板から先が悩むところで、西那須野、黒磯を経て福島県境を越えた西郷村に至るまで慢性的な混雑がある。距離・線形的に優位であることを踏まえても、混むことが判断される場合は、大田原から伊王野を経由して白河に抜ける旧陸羽街道ルート(国道294号)を選ぶ。遠まわりで距離は長くなるけれど、このほうが早いことも多い。それになにより景色もいいし。ただ今日は日曜日であること(同じ週末でも土曜日より交通量が少ない)、目的が甲子道路であり白河市内を通過することにデメリットを感じたので、国道4号をそのまま選んだ。
 県境を越えるとまず西郷村で、新幹線の止まる新白河駅もこの西郷村にある。新幹線ができるまでは磐城西郷駅といっていて、ほんの小さな駅だった。次の白河が急行も止まる駅だったので、今は形勢も逆転してしまった。平成の大合併白河市と一緒になるかと思ったら、この村は単体そのままで残ってる。
 私は白河インターの手前で国道4号を離れ、国道289号に向かってショートカットする。ルートは白河市内に入らない。これがあって旧陸羽街道経由を選択せず、多少流れが悪くても国道4号を選んだ。

 

 国道289号は緩やかなカーブを織り交ぜながらおおむね直線的に坂を上ってく。勾配は気にせず直登していく。ぐんぐん標高を稼ぎながら西郷の中心街からいくつかの集落を経ていよいよ山に向かうと林の中の道になった。林といってもスギやヒノキといった植林された背高の針葉樹ではないから、薄暗い陰気な印象じゃない。木漏れ日が路面にも届いて明るく、そして葉は季節を映して色づき始めていた。
 キョロロン村と新甲子温泉の看板、それと那須甲子道路の標識が現れた。「只今の気温 14℃」と表示されている。ついこの前まで暑くて半そでのTシャツが手放せなかったのに、秋を通り越して冬になろうとしている。ここのところの季節の変わり目は、四季を失って夏と冬の両極になってしまうんじゃないかって思う。私の前後で那須甲子道路へ向かって曲がる人はいなかった。
 右手には新甲子温泉の温泉旅館が並んでいる。「新」と名付けられた温泉街がここにあることで、甲子温泉が余計に秘境さを増す気がする。そして新甲子温泉街を過ぎると、右に「奥甲子」と書かれた標識が現れる。この右手の道こそがかつての国道289号であり(現在は村道)、奥甲子は甲子温泉のこと。すなわち直進の下郷と書かれたここからの区間が難をきわめて開通した甲子道路である。
 ところでこの旧道経由は、途中の剣桂から先が通行止めとされていて、私が目的とする甲子温泉まで行くことができない。とすると標識に書かれていた奥甲子がどこを示しているのか疑問になる。
 甲子道路はすぐにトンネルに入った。ここまでひとつもトンネルがなかったから道が変わったような印象も受けるけど、甲子道路として中通り会津をつないだのはこのトンネル群のおかげにしてほかならないし、難工事と長期工期に至ったのもこれらトンネルがもたらしたものだ。
 ひとつ目のトンネルは短い。剣桂けんかつらトンネル。そして出ると橋を渡る。谷を大きくまたぐ橋で谷底は見えない。旧道はこの谷底近くまで下って行って、遥か彼方の道になってしまった。そして次のきびたきトンネルに入る。
 きびたきトンネルの中を直線的に200メートルばかり進んだところで道は大きく左にカーブする。そして正面には円形の坑口を見て取ることができる。
 これがかつてのルートだった。長い期間をかけ、向こう下郷町と手をつなごうと造られた道路は、ひとつ先の石楠花しゃくなげトンネルにてついえた。台風により内部崩壊したトンネルを、甲子道路は放棄せざるを得なくなった。これらトンネルを連ねて甲子温泉までをつないで、あとはいよいよ山脈越えの甲子トンネルの開通を待つのみとなった道路が、途中のトンネルの崩壊により非現実のものとなった。一時期は甲子温泉までの道として国道289号甲子道路と道路地図にも描かれたのに、この道路は短命にして通行止めとなってしまった。
 再計画されたルートは、このきびたきトンネル内でトンネルのまま迂回し、かつての石楠花トンネルの出口まで一本の続きを掘ってしまおうというものだった。ゆえに迂回箇所がトンネルの中で、道はΩ型のカーブを描いている。その最初の左カーブに入るところで、かつてのルートの坑口を見送ることになる。すべてコンクリートで埋め固められた、わずか8年で役目を終えた当初の甲子道路の跡だった。
 おそらく大半のドライバーはそんなこと気にも留めずに左へハンドルを切る。私も続いてハンドルを切った。それから右に大きく回り、最後に元のルートに戻っていくように左にハンドルを切った。
 長いトンネルになった。そのきびたきトンネルを抜けると周囲の山々の色づきが変わっているのがわかった。それもつかの間、また次の長いトンネル、安心坂トンネルに入った。

 

***

 

 安心坂トンネルの出口で私はアクセルを緩めた。出口からすぐに谷に架かる甲子大橋とのあいだに、甲子温泉に至る村道がある。ふつうなら頭上にある大きな青看標識が、ここでは橋の欄干にわずかばかり載った小さなもので、左に甲子温泉を示していた。それに並んで「甲子温泉旅館大黒屋 営業中」と書かれた看板。それだけがある寂しい三差路だった。狭く急な道に入るため私は減速し、左折した。そこには車が数台止まっていて、みな甲子大橋を入れた山の紅葉を写真に収めているようだった。なるほど、美しい紅葉が始まってる。

 

「内風呂と川を渡った先に岩風呂があります。内風呂は現在清掃中で13時から15時まで入浴いただけます。岩風呂は現在も入れて15時までです。渡り廊下をずっと下って行って川を渡った先になります。混浴と女性のお風呂になっています。川にそのままお湯を流す関係上石鹸やシャンプーの類がいっさい使えません。内風呂のほうは男湯と女湯になっていて、こちらは石鹸やシャンプーが使えます。お風呂にご用意もあります。食堂は13時半までの営業です」
 現在12時半。事務的な説明は冷たく感じる人もいるのかもしれない。でも私には何の問題もないし、説明もよくわかった。私は特に接客に関してそういう部分は求めない。
 ──それより混浴か。
 あまり下調べもせず来てしまった。まあでもいい。混浴なんて結果男湯だろう。
 内風呂にはまだ入れないということなので、岩風呂のほうへ先に行くことにした。
 渡り廊下は思っていたよりも長くて、途中でスリッパから外履きのサンダルに履き替えた。そこにはベンチコートが何着もかけてあって、長靴もあった。極寒の雪の中で入りに行くときはこれが必要ってことか。
 館内はどこもきれいにされていた。その何段もある階段をひたすら下って外に出た。川に橋が架かっている。その先に木造の小屋。見るからに冷たそうな透明な水が編むように流れ、周りは始まったばかりの紅葉だった。正面に混浴と書かれ、右手に女湯と書かれている。私は正面の戸を引いた。
 広い。
 いきなり湯があった。ぱっと見5人以上の人が入っている。いきなり湯舟があったことと、予想以上の広さに驚いた。私はつい立ての向こうの脱衣所で籠をひとつ取った。脱衣所にも男女の別はない。
 さあ風呂に入ろう。
 ──と、そこで上がってきたふたりとすれ違う。そのうちのひとりが女性だった。驚き、目線を落した。中年の男女だったが、まさか女性がいたなんて思いもしなかった。私が自身の裸体を見られることに別になんら思うことはないけど、目が合ってしまったことで「じろじろ見る男性がいて……」などと語り回られるのはいやだ。私は何も悪いことはしていないのにひどく追い詰められた気分になった。
 さてふたり上がってざっと五人ばかりになった風呂は有り余るほど広かった。温泉は無色透明で、湯舟には一段ステップがあるのが見える。みなそのステップに座って浸かっている。かけ湯をするとお湯はぬるめだった。ゆっくり入れるお湯だ。しっかりかけ湯をして足を入れると、まずそのステップがとても深い。そこに腰を下ろすとようやく首が出るような、ふつうの湯舟なら地べただろっていう深さだった。じゃあ地べたは? とさらに足を踏み入れてみた。とそこは立つしかない場所で、肩が出るか出ないか、首がようやく出ているという状態だった。だからみんな縁のステップに座ってるのか。
 洗い場もないし、石鹸もシャンプーも使えないわけだから、みなただお湯に浸かっている。特に話をするわけでもなく静かにお湯に入っている。ぬるめのお湯がずっと入っていられる。というかぬるすぎて上がれなくなるんじゃないかって不安になった。
 小屋は木造の古い建物で、壁なんか板の打ち直しをしてあるけれど、屋根も梁も古いままだった。年月を感じる黒ずんだ木が建物をつかさどっている。そこに新しい角材や板材が支えるように補強されている。それも新しさ加減が微妙に違うから、年々、補強を繰り返して維持しているんだろう。
 小さな窓から外が見える。小さいから、山の一角が額縁で切り取られたようで、そこから色づいた木々を眺めた。
 20分あまり入っていた。そのあいだふたりが上がりふたりが新たに入ってきた。戸を開けて、光景にびっくりする人はおそらく初めて、知らずに来た人なんだろう。事前知識がなければ戸が開けて大きな湯舟がそこにあるというのはさすがに驚く。あれ以降女性が入ってくることはなかった。
 上がって冷えを感じることが気になったが、やはり上がってみたら肌寒さを覚えた。しかし体を拭き服を着ると妙に体の芯が温かいことに気づいた。こんなぬる湯で温まるのかと驚いた。それから気にしている右肩が少し軽くなっている気がした。ただ雪の降る冬だとどうなんだろう、寒さに弱い私は耐えられるだろうか。
 13時を回っていたので内風呂に入っていくことにした。が、来るときに下ってきた渡り廊下の階段がきつい。なかなか終らない階段を上り、サンダルをスリッパに履き替え、内風呂にたどり着く頃にはすっかり息が上がってしまった。
 内風呂は岩風呂よりも若干熱めでこれは場所の関係なのかそもそもお湯が違うのかわからなかった。内風呂というものの露天もついていてそっちも楽しめる。
 すっかりいい気分になって入っていたら食堂は終ってしまった。

 

***

 

 再びスバルに乗り込み、甲子大橋から甲子道路の続きを始める。温泉からの細い急な坂道を上って甲子道路の三差路へ。流れの早い本線へ、切れ目を見つけて合流した。甲子大橋を渡るとすぐさま、最後の接続路である甲子トンネルに入った。
 甲子トンネルを抜けた下郷町側がまさに高原道路としての絶景だった。じっさい、私はこの2019年に開通した最後の道路を走るのは初めてだった。何度か甲子道路中通り会津を行き来はしているけれど、前回は2019年よりも前だ。
 緩やかにカーブした先の道が延々と見渡せる。山は紅葉に染まり始め、青空に映えるように主張していた。見える道の先は左方向へ続き、その先で山を回り込むように右に消えていった。私はこの道で今からそこへ向かう。
 甲子トンネルが開通してこの道は全通したが、下郷町の集落内を通る旧道を経由する箇所が残っていた。途中途中は甲子道路としてのバイパス路が出来上がってはいたが、集落内の道と高規格で自然に優しいエコ道路とをつぎはぎにつないだような道だった。昨年出来上がったこの道はまさに現代の高原道路というにふさわしい。甲子道路の完成形を見た。

 

 私は下郷の町に下り、以前一度行ったことのあるカフェでホットドッグのセットを食べた。何年ぶりに来たところだったけど、使われているベーコンが美味い燻製で、そのときの味を思い出した。店は老婦人がひとりでやっている。コロナウィルスの影響でお店がどうにかなってしまってなきゃいいけどと思ったけど、やっていた。同じホットドックを食べられた。よかった、そして満足。
 食後のコーヒーを飲みながら帰路を考えた。行きは国道4号で白河まで来たから、帰りは国道121号会津西街道を使おうと思う。栃木県境を越えて、さらに塩原には抜けず、そのまま川治、鬼怒川、今市と抜けていくのもいい。そこまで行ったら例幣使街道に出て杉並木から鹿沼、栃木と通って帰ろうかな。