えちぜん鉄道、福井鉄道

 鯖江の街道沿いのカフェチェーンが早くから店を開けていたのでそこでモーニングを食べていた。最近になってたまたま気づいた、私がまだ未踏だった県、その福井県にようやく足を踏み入れたというのに、実感が湧いてこない。日々開店時間から足を運び常連と化したであろうおじいさん集団の会話は私の住む埼玉でも日常的に見かける光景だし、話す言葉が独特(福井弁だろう)であるのにそれが耳慣れないものだからここが福井であるという実感にもつながらない。窓の外に高い建物がないというのも、別にここに限った話じゃない。
 私にとって未踏の県であった福井県は、本州で見れば最後の県であった。そんな色塗りをしていたわけじゃないけど、結果的にはそうだ。でもその程度の意識だから、本州最後の県に足を踏み入れたという喜びも特にないんだろう。
 トーストを手に、一日の行程を確認していた。
 今回福井を走るふたつの私鉄に乗ろうと思っている。えちぜん鉄道福井鉄道。そんな私鉄があることも知らなかったくらいだから、出かけると決めてそれから調べたようなものだ。えちぜん鉄道はいわゆる地方私鉄で、福井駅から二路線が出ていた。ひとつは海に向かって走る三国芦原あわら線で、もうひとつは山に向かって走る勝山永平寺線だ。馴染み深いものはほぼない。地図を見て路線を日本史の年表のように丸暗記するしかない。芦原は芦原温泉の芦原だろうか。といっても芦原温泉がどんな温泉地なのか知る場所でもない。永平寺は名前を知っている。が、それだけだ。語れることは何もない。勝山は、リゾートバブルの頃にできたスキー場「スキージャム勝山」の勝山とイコールなんだろうか。仲間内じゃ「ジャムカツ」などと親近感を持って呼んでいたけれど、結局周囲に誰ひとり行ったことのある者はなかった。やはり関東からすると長方形の対角線に位置する福井県、そうそう到達できないのだ。その福井県のもうひとつの私鉄が福井鉄道福井駅前から市内の大通りを走る路面電車区間があり、郊外に出るとそのまま鉄道専用軌道となって鯖江から武生に向かう路線だった。路面から鉄道路線へそのまま走ると知って、広島の広電を勝手にイメージした。さらに面白いことに、福井鉄道の路面区間を走ってきた電車がえちぜん鉄道に乗り入れているそうなのだ。ふつうの電車が走っている線路にトラムの電車が入ってくる。これだけでも興味が湧いた。そしてこの二路線を乗ろうじゃないかと意気込んでやって来た。

 

***

 

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 午前9時過ぎ、JR福井駅の構内を抜けて東口へ出た。同じ駅名でホームがJRと並び、入口が別というのは地方の拠点駅の大多数で見かける光景だけど、今回のえちぜん鉄道の駅入口を見つけるのには手間取った。大きなロータリーからパッと見あるわけじゃなく、工事用仮囲いで幾重にも屈曲した狭い迷路を歩いていく必要があった。
 が、そこにあったのは隅で寂れた駅入口ではなく、近代的できれいな、汚れひとつないピカピカ輝く駅だった。おまけに改札を入るとエスカレーターでホームに上がっていく、高架駅だった。迷路の先に追いやられた駅は寂れて忘れられそうなわけではなく、盛んに行われている北陸新幹線の延伸工事でこういうアプローチになっているだけだった。
 私は窓口で「福井鉄道えちぜん鉄道共通1日フリーきっぷ」を買った。このきっぷで今日目的にしているえちぜん鉄道福井鉄道の両社をすべて乗り降りできる。それを手に改札を入ると、入鋏は昔懐かしい鉄のはさみだった。パチン──いまや有人改札でもほとんどがスタンプ(日付印)での入鋏だから、この音が聞けたのは貴重だ。私はへぇと言いかけて、やめて、ホームへのエスカレーターを上がった。
 まずホームの天井が目に入った。正方形の木製のパネルがマス目状に並べられている。永平寺傘松閣さんしょうかくの天井画をイメージしたらしい。でもこのパネルに絵が描かれているわけではなくのっぺらぼう、木枠が並んでるだけだ。そして天井だけでなくほかにも壁や柱や駅名標に木がふんだんに使われている造形だった。といっても眺め見まわしただけなので、あるいは木ではなく木材プリントされた部材かもしれないけれど。
 二両編成の電車が入ってきてたくさんの乗客を降ろすと、回送になって折り返しどこかに引き上げていった。そのあとホームの後ろに控えていた一両の勝山行きが入線。各ボックスがひとりふたりの乗客で埋まり、ロングシートも同様に埋まった程度の乗車率で福井駅を発車した。
 しばらく高架線を走った。横では北陸新幹線の高架線を休みなく造っていた。新福井、福井口と短い駅間を進むあいだ、新幹線の高架線の上を作業着に身を包んだ人たちが絶え間なく工事していた。
 この福井口駅勝山永平寺線三国芦原線が分岐する。山のほうへ向かう勝山行きは、左のホームからダブルクロスを渡って右の線路に入る。すぐに高架を下って地平に出た。
 車両は愛知環状鉄道からの譲渡らしい。両運転台のこんな車両があっただろうか。そういったところで愛知環状鉄道に乗ったことがないので知る由もない。東海道線岡崎駅を通るとき313系と同じ顔をした電車が止まっていることがある。あれがかつてはこの車両だったのか……。
 それより片引き扉が懐かしい。これ好きだ。
 風景が地方都市から住宅街、田園へと変化していく。田園はほとんどが水田に見える。刈り取りをすでに終えた田と刈り取り真っ只中の田と刈り取りを待つ田があった。刈り取りさいちゅうの田ではコンバインがフル稼働していた。
 永平寺口に着くと乗客の三分の一くらいが席を立った。この電車にはアテンダントの女性が乗務していて、到着前後に永平寺に向かうバスの案内を放送していた。福井を出てから地元客がパラパラと降りながらの三分の一程度なのでそれほど多くの人が降りたわけじゃなかった。私も今回、永平寺への立ち寄りを考えた。でも結局やめた。時間が上手く合わなかったのだ。本当ならここに限らず気が向いた駅で途中下車して、歩きまわったり立ち寄ったりしながら次の電車を待ちたいところだけど、そんな余裕はなかった。残念だけどこの線も終点勝山まで乗り通して、ピストンで返すのみだ。
 永平寺参拝をする人自体が少ないのか、あるいは時期的なものなのか、下車客はこの程度のものかと思った。でもきっと大半の人はマイカーだろうし、公共交通機関なら福井駅からの直行バスのほうが便利に思える。みんなそっちなのかもしれない。
 ボックスに点々といる乗客の顔ぶれが変わらなくなると、アテンダントも退屈そうになった。無人駅では乗車券回収業務もやっているようで、無人駅ばかりが続く区間になり車両前部に張り付いていた。
 車窓左手に大きな川が近づいてきた。右行左行するこの川を地図と照らし合わせると九頭竜川だった。電車はこの川に沿ってゆるゆると坂を上っていく。
 実はこの旅のなかで九頭竜湖に向かうJR越美北線を組み入れるプランも考えた。春に岐阜の長良川鉄道(かつての越美南線)に沿って自転車で走り、鉄道で帰ってきた──残念ながら北濃までは行けず郡上大和までだったけど──こともあって、越美南北を通してみたかった。しかしこれもいい乗り継ぎが得られなかった。この電車の終点勝山から越前大野駅へ抜ける案も練った。が、一日何本かのバスは時間が合わず、10キロ強の道を歩くとしても(歩くのは楽しそうだ)、結局数時間おきにしかない越美北線と折り合いがつかなかった。いろいろひねり倒してみたものの、今回は福井私鉄のえちぜん鉄道福井鉄道に絞ろうという結論に至った。
 今度は右から山が近づいてくる。そうなると田園は姿を消し、迫りくる山の林の中へ入った。
 途中小舟渡こぶなとという駅がある。国土地理院の地図を見ていたとき駅すぐの線路わきに温泉マークを見つけていた。線路と道路(小舟渡橋のすぐたもとだ)に挟まれた狭い場所にいったいどんな温泉があるんだろうと窓外を見ていたんだけど、結局わからず終いだった。グーグルマップにも乗っていないし沿線情報を挟んでくる自動の車内放送やアテンダントもこれに触れることはなかった。そして電車は構うことなく先へ進んだ。
 福井を出てから一時間弱、終点の勝山に着いた。到着前後にアテンダントが恐竜博物館へのバスを案内していた。そして電車を降りると駅でもやはり恐竜博物館へのバスを繰り返し案内している。何組かの家族連れが改札をくぐって駅前へ急ぐ。あとはみな落ち着いて改札を抜ける。もう一方のホームに止まっていた電車が、福井の行き先を掲げて出発していった。
 乗ってきた電車が折り返すのが三十分後、建て替えられて間がなさそうな小綺麗な駅舎を出ると、ロータリーから恐竜博物館へ向かうバスが出ていった。ロータリーの中心には恐竜のオブジェがいて、ほかのマスコット的キャラクターを含めて恐竜一色だった。
 駅舎に戻ってその一角にある"駅カフェ"でコーヒーを飲もうと思っていた。店の情報を得ていたし、時間も持て余すことは想像できたので楽しみにしていた。しかしながら扉にはカーテンが引かれ、「臨時休業」の札が下げられていた。私は途方に暮れる。もちろん発車までの25分ばかりベンチに座っていたっていいのだけど、なんだか残念に思えた。そのうちとなりか、さらに先のふたつ目の駅まで行ってみようかと思い立った。地図で距離を調べると、ふたつ先までは無理そう(さすがに電車のほうが早い)だけど、ひとつ目なら追いつかれないだろうことがわかった。それがわかるとすぐにでも歩き出したくなった。私は駅隅のトイレに寄り、そして歩き出した。
 ロータリーを出て、九頭竜川沿いの県道を歩く。それなりに交通量があって、歩道がないものだから、気をつけながら歩きつつもやっぱり怖いので、線路のほうへ向かう道を見つけてその畔のような道を歩いた。
 線路沿いに歩くのは楽しかった。電車に乗っていたときは気づかなかった第四種踏切がいくつもあった。県道のほうが直線的で距離が短いからそのぶん意識して早く歩くようにしたけど、線路沿いを歩いているだけでなぜか安心感があった。もちろん間に合わなければあえなく電車に追い越されてしまうけど……。
 いちおう常に頭の片隅で意識はしておいたから、5分前にはとなりの比島駅に着いた。駅といっても駅前の小道から駆け上がりの坂があるだけのホームで、待合小屋がひとつ、駅舎はない。無人駅に多いスタイルだ。
 踏切が鳴った。電子音の警報機ではなく、昔ながらの鉦をつくタイプ。音は風景を作る──ああ美しい。そのなかを下り電車がやってくるのが見えた。終点勝山で入れ替わりになる電車だ。私はホームではなく線路端の小道からそれを見ていた。緩やかなカーブの道にはガードレールなどなくすぐに線路がある。まるで江ノ電の併用軌道区間のように、電車がすぐ目の前を走る、手を伸ばせば車両機器がそこにある、そんな場所だ。電車は減速をしながらそのカーブを曲がった。誰もいないホームに向けて軽い警笛を一発。そしてそのまま、ゆっくり走り去っていった。
「あれっ?」
 私は不思議に思った。私が乗って来た電車は、降車客がいなくても、ホームに乗車客が待っていなくても、必ず駅で停車し、扉を開けて閉めた。それが数秒の出来事であっても必ず行われていた。しかし今の電車は通過していった。降車客も、ホームで待つ客も認めなかったからだろうか。その扱いが乗務員によって異なるのだろうか、そんなことあるかな……。
 数分後、私が乗る電車がやって来た。勝山行きとして乗った一両の電車だ。さっきの下り勝山行きと同じ顔のアテンダントがドア際で待っていて、あっという顔をした。私は照れ笑いを隠すようにフリー乗車券を見せた。時刻通り。空いている席に着き、それを確認するため、時刻表を見た。
 そして私は驚く。さっきの下り列車、比島駅のホームに軽く吹鳴、そのまま徐行で通り抜けていったのはなんと比島駅通過だったのだ。全列車が普通列車で通過駅などないと思っていた私には衝撃だった。通過のある駅は全線のうち比島駅だけで、しかも日中一時間に2本の列車のうち1本は比島駅を通過することになっている──。これ、私は何の気なしに比島駅まで歩きだしたが、今乗っているこの列車が比島駅通過だったら乗ることができなかったのだ。明らかに下調べ不足。結果オーライながらあまりにリスク。こういう安易な行動が命取りになることだってある。
 安堵し、さっき見た景色を逆から眺めつつ今度は福井口駅へ向かった。

 

 福井口駅で降り、乗ってきた福井行きを見送ると、すぐに三国港行きがやってきた。となりの新福井駅で交換したんだろうか。この電車に乗る。
 さっき渡ったダブルクロスは渡らずに直進すると三国芦原線の線路で、高架を下りながら、新幹線の高架下をくぐり、同時にJR北陸本線の線路の上をまたいだ。そして三つ目の田原町まで行った。

 

***

 

 田原町駅はえちぜん鉄道と福井鉄道の接続駅である。ホームは相対していて両線が向かい合っている。鉄道であるえちぜん鉄道は専用軌道の線路なのだけど、ホームを挟んだ反対側の福井鉄道の線路は、ここが軌道区間であるゆえ道路上にあった。面白い対比だ。そしてここから90度でフェニックス通りに入っていくため、コンクリートで固められた路上の急カーブの中に渡り線があった。ただのポイントレールに過ぎないのに、それが妙に艶美に見えた。
 私が乗る電車はここ田原町始発で、すでにホームに着いていた。しかしまだホームに入ることはできない。発車時間前までホームに入れないのが福井鉄道のやり方みたいだ。
  ホームで待っているのは、かつて名鉄揖斐線で走っていた2両の連接車だった。しかし色がアイボリー基調に緑とブルーを施した福井鉄道カラーになっているのですぐには気づかない。開始された改札を受け、車内に入って車両番号が名鉄書体であることや、窓の日よけがブラインドでなくカーテンであることから、ああこれはと懐古した。同時にひと目でそれとわかる名鉄スカーレットという色のアイデンティティに偉大さを感じた。
 定刻に発車した越前武生行き普通電車は、くだんの90度カーブを曲がって大通りの中央を走った。路面電車のない関東に暮らし(都電荒川線は残念ながら路面電車とは思えない)、母方の実家が四国松山にある私にとって、路面電車は強烈な親近感と懐かしさを呼び起こすもので、私は半身になって窓の外を眺めながら興奮状態にあった。ついでこの電車が走っていた名鉄揖斐線や、つながる谷汲線美濃町線といった路面区間を持つ各線に乗れず終いだったことが悔やまれた。余計な、いろいろなことを考える。
 福井城址大名町電停で線路が左に分岐している。この電車はこれから分岐線に入っていく。
 この線路は福井駅前に立ち寄るひと駅だけの支線で、普通電車のみがここに入っていく。福井鉄道福武線には急行が走っているが、急行は普通がこの線路に入って福井駅前に寄っているあいだに本線で追い抜いていく。支線を退避代わりに使った面白いダイヤだ。
 そして私の乗る普通電車はこの支線に入った。電車通りと呼ばれる商店街の狭い路地を走っていく。かつてはここをフルサイズの電車も走っていたらしい(フルサイズって言葉が適切かどうかわからないけど)。この混然とした雰囲気がたまらなくいい。
 それほど距離を走らずして福井駅前に着く。ロータリーのはずれに電停があり、駅から乗車する客を乗せる。そのあいだに運転士は反対側の運転台に移動する。発車時刻になると入ってきた電車通りを戻り、ふたたび福井城址大名町電停に着く。ここでまた運転士は元の運転台に移動する。支線に立ち寄るためにスイッチバックを繰り返し、目的地の越前武生を目指すのだ。
 新木田交差点で線路は道路を外れ、赤十字前からは鉄道線になった。広電が西広島から宮島線に入るみたいに。
 そしてここから先の路線もまた、広電の宮島線を思わせる。大幹線であるJR線と並行していること、大きな街道にも並行していて、その沿道に点在する街々を拾っていく役割を担っていること──鉄道が並んで二本走りながら、それぞれ目的別のすみ分けがされているのも同じだ。そうはいいつつも、広電の各駅が電停っぽさを持っているのに対し、こちらの駅はちゃんとした鉄道駅だ。新駅以外はどこも立派な駅舎を持ち、地方鉄道の風格がある。
 線路は早いうちに単線になった。私はこうして広電宮島線のようだと挙げてはみたものの、きっと名鉄揖斐線美濃町線のほうが印象として近いのだろうなと思った(自転車で廃線跡をめぐってみたことから)。やはり乗ることがかなわなかった路線だけど。
 交換可能駅では複線になる。ふつうの地方私鉄と変わらない。ただその駅構内へのポイントに、雪覆いスノーシェッドがある。波板張りのトンネル状の半円の筒がポイントを覆っている。今この時期からは想像がつかないけれど、福井という街は雪に覆われるのだろうか。どのくらい雪に見舞われる街なんだろう。
 交換駅でフクラムっていう最新型低床車両とすれ違う。あれにも乗りたいと思う。フクラムはえちぜん鉄道へ乗り入れている車両で、急行のみの運用。普通運用には入らないから、戻りは急行に乗ろうと思っている。
 街道沿いの町なかを行く路線は景色に変化が乏しくて、うとうとしたりしているうちに北府きたごに着いた。終点越前武生のひと駅手前で、福井鉄道の本社や車両基地がある。留置線のはずれにかつての200形電車が置かれているのが見えた。
 私はこの北府駅で降りた。構内踏切を渡り、見事なまでのたたずまいの木造駅舎が迎えた。もちろん無人駅で誰もきっぷを受け取ることはない。
 13時半。昼食を取ることにする。途中下車なし、乗り通しでこの時間である。すでに4時間が経っている。それぞれ意外と時間がかかるのだ。
 

***

  

 私は北府から町を歩き、神社の参道にあるヨコガワ分店というお店で地元のソウルフードボルガライス」を食べる。混んでいたけれどそれほど待つことなく入れた。
 カウンターで囲ったオープンキッチンスタイルの店内は、いやでもシェフの手技にみなの注目が集まっていた。大きな鉄のフライパンで何人分ものライスを見事に振り、小さな鉄のフライパンで卵を焼いて、そこに炒めたライスを乗せると、あとは手品のように巧みにくるまれたオムライスとして出来上がっていった。オムライスにとんかつを乗せた地元めし、ボルガライスを私はいただく。
 ランチタイムを堪能し終えたら、今度は福武線の始発駅、越前武生駅を目指した。

 

 JR北陸本線武生駅のようすもちらっと覗いて、それから越前武生駅に行った。線路がくし形のホームで終っている。終着駅らしい良い形だ。三本の線路に分かれ、うち端の一本に最新低床車のフクラムが止まっている。真ん中と反対の端に名鉄の連接車が止まっている。
 少しくらい予定が巻けて、一本早い電車に乗ることもできるかなあなどと考えていたけれど、結局もともとの予定通りだった。 急行・田原町行き、まだ発車まで15分ばかりあり、福井鉄道の流儀か例によって改札が始まっていないためホームに入ることはできない。きっとあのフクラムに乗るのだろう。名鉄の連接車はそのあとの普通電車だろう。私は待合室のベンチで缶コーヒーを飲んで待った。
 しばらくすると改札に人があふれた。一本列車が着いたようだ。とするとさっき止まっていたうちの一本は出ていったのかな?
 下車客が途切れ、ほどなくして田原町行き急行の改札が始まった。私はフリー乗車券を見せてホームに入る。
 ──と、出ていった車両はなく、フクラムが止まっているホームの先端にもう一本、名鉄の連接車が止まっていた。これがさっき着いた列車のようだ。同じ線路、同じホームを前後に二本の列車が使っている。その車間があまりに短いのが路面電車っぽくてほほえましい。そして、このやってきた車両の方向幕がまわりだし、「急行・田原町」と書かれたところで止まった。
 ……えっ、フクラムじゃないの? これなの?
 そうなのか、急行運用がすべてフクラムなわけではないのか。えちぜん鉄道に乗り入れる車両はフクラムである必要があるけど、田原町までの電車は自社線内だから、普通運用だろうが急行運用だろうが、どの車両も使われるのか……。ということはフクラムに乗りたければえちぜん鉄道に乗り入れる鷲塚針原行きを選ばないといけないのか。ちょっとがっかり。
 そんなわけで北府まで乗ってきたのと同じ700形で折り返し出発した(同じ名鉄連接車でも美濃町線を走っていた800形というのもあるのだけど、それでさえなかった)。
 急行なので、いくつかの小駅を通過していく。それだけでもずいぶんと時間短縮になっているように思えた。
 さてこのあとはふたたびえちぜん鉄道三国芦原線に乗る計画だ。もっとも簡単な乗り継ぎは、終点の田原町まで行って、福井からやってくる三国港行きに乗る方法。しかし接続が今ひとつで、田原町で20分の時間を持て余す。それならば、福井城址大名町で福井駅前を通る普通に乗り換え、福井駅から同じ三国港行きに始発から乗ればいいんじゃないか……。ただ福井城址大名町で乗り継ぐ普通の越前武生行きは6分の待ち合わせで、かつこれに乗ると福井駅での乗り継ぎがわずか5分になる。西口ロータリーの端にある福井鉄道福井駅前と、東口の迷路の先にあるえちぜん鉄道とで乗り継ぎをしなくちゃいけない。安全策を取るなら田原町乗り継ぎだ。しかし20分という中途半端な乗り継ぎ時間はおそらくボーっと過ごすことになって終りだ。だったらもう一度福井駅から三国港行きに乗っていいんじゃないだろうか。しかし5分。そしてここは軌道区間。信号のタイミング次第じゃ到着遅れなんてこともあるよなと頭をよぎった。
 電車は専用軌道から道路へと入り、足羽あすわ川を渡った。福井駅前からの線路と合流して福井城址大名町電停。私はここで電車を降りた。電停の歩行者信号が点滅を始める。私は走って信号を渡った。福井駅前行きの6分後の電車は待たない。私は福井駅までここから歩くことにした。

 

 福井城址大名町から福井駅は意外と近くて、電車を待つよりも早く着いた。福井駅前もまた恐竜一色で何体もの恐竜のオブジェが飾られていた。せっかくだからとこれらをひとつひとつカメラに収める。そしてJR福井駅構内を抜けて東口へ向かう。そのときに西口ロータリーの福井駅前電停をちらっと見た。遅れているのか、まだ電車は入っていなかった。

 

***

 

 三国港行きのえちぜん鉄道の電車は思いのほか混んでいて、いちばん後ろに陣取って後方に過ぎていく線路を眺めていた。福井口勝山永平寺線と分かれ、新幹線をくぐりJR線を越えた。田原町では福井鉄道と再度対面。しかしながら私が乗ってきた700形ではなく800形だったから、あとに出た普通か、もしくは福井駅前に立ち寄っているあいだに急行に抜かれた普通だろう。いずれにせよフクラムではない。
 福井鉄道からの乗り継ぎの客も乗せ出発した。途中新田塚駅で黄色い最新型低床車とすれ違った。ki-boキーボと呼ばれるえちぜん鉄道の低床車で、フクラムの裏返し、えちぜん鉄道福井鉄道乗り入れ車だ。結局どちらにも乗れず終い。走り去るキーボの後方を見送った。
 乗り入れが行われている鷲塚針原まではえちぜん鉄道のこのふつうの電車用の高いホームと路面区間を走る低床車両用の低いホームの双方がある。最後の鷲塚針原は線路が分かれ、折り返し用の行き止まり線になっていた。低いホームも別に、独立して存在していた。線路は空いていて、そこに折り返し待ちの電車トラムは止まっていなかった。
 周囲が住宅からだんだんと田園に変わっていく。そのなかに長い長い直線区間があったりする。景色の抜けの良さの中の長い直線は、果てしなさを感じた。緩いカーブをほんの少し曲がってまた直線、そんな線形を繰り返した。
 乗客は駅に着くごとにほんの少しずつ降りていくが、一斉に降りてガラガラになってしまう事はなかった。一斉に降りるならあわら湯のまちだろうかと予想していたが、それも外れた。確かに他の駅よりは多くの乗客が降りたが、一斉にいなくなって車内がガラガラになるということはなかった。
 とするとみなどこまで行くのだろう。もう終点は近い。
 かつての三国町の中心部、三国駅でもみな降りることはなかった。終点、三国港。福井や田原町から乗ってきたほとんどが、ここ終点・三国港まで乗ってきて、降りた。地元の人? 観光客? 私にはパッとはわからなかった。
 駅前は終端のレールを横切り、県道を挟んで、すぐそこがもう海だった(正確には九頭竜川の河口)。いろいろと福井周辺を乗り回してきて、今日初めて見た海だった。